令和2年8月は、被爆から75年になります。
貴重な被爆体験の風化がますます懸念される中、20歳で被爆した人も95歳。
いよいよ被爆体験を語り伝えることが困難になってきました。
原爆の恐さ、平和へのメッセージを、今後広島からどう発信し続けていくのか?
NHK広島放送局は、“被爆証言の記録”と“若い世代への継承”を進めています。
かたりべさんとは?
かたりべさんNHKドラマでは、原爆投下された広島を舞台とした
「被爆体験伝承者養成事業」を、就活真っ最中の若者を主人公に
ドラマ化した内容となっていました。
人生ドラマその2
偶然なのか?必然なのか?
このお店を電車の窓から見つけたのが、これこれ9年前になります。
貸店舗と大きく張り紙をした
古いスナックが妙に気になり電車を降りて書かれていた電話番号に電話をして
不動産屋さんに中を見せてもらうと・・・
長年使用されていない店舗で風呂もない、2階の流しはタイル張りと
昭和のレトロ感が漂う、かなりひどい状態ではあったのですが・・・
住居付きと1戸建てが気に入り小さなユニットバスを取り付ければ
なんとかなりそう~~~(^ω^)
親切な引越しのおじさんに、少しづつ荷物を運んでもらいながら・・・
1ヶ月かけてひとりで掃除して晴れて開店したのがこのお店です。
開店してまもなくの頃・・・
お客の友人と言って呼ばれて来店されたのが「彼」でした。
運命の出会いか?
背も高く上品な面立ちには不似合いな(失礼)妻と一緒に
家も近くということで時々再々お越しいただくのですが・・・
四六時中身体が無意識にけいれんをおこしたように動き、
椅子からはずり落ちる、身体に力が入って汗はビッショリ
座ってても身体が自然に傾いてゆく・・・
重度のパーキンソン病と聞かされました。
パーキンソン病とは?
円滑な運動を行うのに重要な役割を担う脳の一部に異常が生じることで
発症する病気です。
パーキンソン病では、思ったタイミングで歩き出せない、小刻みな歩行になるなどの
症状がみられるようになります。
日本では10万人あたり100人~150人(およそ1000人に1人)がこの病気にかかると
考えられています。
60歳以上では10万人あたり1000人(およそ100人に1人)と、ぐっと多くなります。
今後高齢化が進むにつれて、患者さんの数は増えると推定されている疾患です
そんな彼の母も、かたりべをやっていたと聞き、ふと・・・
「お母さんの名前は?」と聞いたとき・・・
私の母の両親は、原爆で亡くなりお骨を拾って帰った話、
妹を探し半身ケロイドの妹の手当したと言う母の話が蘇り、
えっ~~~まさか~~ヽ(´Д`;)ノ~~ww
そこに母の妹の子どもの方との運命の出会いがありました。
言うなれば・・・従兄妹の関係ということです。
母の妹という叔母さんには、何度か面識はあったのですが、
子供さんの話を聞くようなお付き合いはなかったので
叔母さんの家族には会ったことがなかったのです。
半身ケロイドの身で、翌年には子どもを産むという
なんとも逞しい女傑の方だったようで・・・
その後、5人の子どもを生んで育てていらっしゃるのです。
しかし・・・彼は21年生まれなので胎内被爆者ではありません。
30代でパーキンソン病を発症して、それが関わっているかは不明です。
ただ・・・パーキンソン病に負けない精神力はさすが・・・見事です。
ここに登場するのは彼なのですが・・・
なんともユニークな思考の持ち主のようです。
まとめ
昨今、広島を訪れる観光客が増えています。
観光客は小・中学生はもちろんのこと海外からの旅行者も増え、
彼も母の残したかたりべを継承したいと語ってはいらっしゃるのですが・・
戦争が終わって年数が経っても、戦争の悲惨さ、あってはならないという事を
私達も胸に刻む暑い夏がやってきました。